2014年01月03日
自分以外を取り去ってみよう
どーも、しょうちくです。
「私は〇〇である」
という自分のアイデンティティを書き出してみましたか?
今回はその書き上げたものを使って、自分を探してみます。
◆記憶喪失になってみる
書き上げたものを「使って」といいましたが、実際にはそれらを全部「捨てて」みるのです。
実際に捨てる必要はありませんが、いまだけ、一旦それら全てを脇の方へ置いておいてください。
「いまこの瞬間、自分が記憶をすべて失ってしまったら?」と仮定し、自分から、あらゆるアイデンティティを取り去ってみるのです。
想像で構いませんので、「ここはどこ?私はだれ?」状態になってみてください。
---------------------------
さて、あなたはいま、自分が何者なのか全くわかりません。
自分を定義できるものなど、いまここには何もありません。
あなたは誰でもない者となりました。
さて、どうでしょう?
そんな状態だとしても、それでも「私はここにいる!」と言えるのではないでしょうか?
あらゆるアイデンティティが消え去ってしまったとしても、それでも変わらず「自分はここに存在している」と言えるのではないでしょうか?
そうなんです。
仮に、自分を定義するものが何一つなくなったとしても、あなたは相変わらずここに存在しています。
それは、あらゆる「定義」はあなたの「存在」とは一切関係がないということを示しています。
「私は〇〇である」という定義があろうがなかろうが、あなたはいまこの瞬間に、ただ存在しているのです。
あなたは、アイデンティティを何ひとつとして必要としない者なのです。
◆体を取り去ってみる
あらゆる定義が自分ではないなら、自分とは一体何なのでしょうか?
この体こそが自分なのでしょうか?
この体は自分の意思で動かすことができます。
歩こうと思えば歩けるし、何かを掴もうと思えばそれを掴むことができます。
どこかに体をぶつければ痛みを感じるし、体調が悪いと気分も優れません。
だから、これは自分であると言えそうです。
でも、本当のところはどうでしょう?
想像で構いませんので、今度は徐々に体を取り去っていってみましょう。
----------------------
まずは、自分から一番遠い足からです。
もし両足を取り去ったとしても、それでもあなたは存在しているといえそうですか?
足がなくても、「自分という感覚」は消えそうもありませんね。
ということは、あなたは足ではないのです。
今度は両手です。
両手がピッコロさんのようにもげてしまったとしても、それでもあなたは存在しているといえそうですか?
両手がなくても「自分という感覚」はまだ消えそうにありませんね。
ということは、あなたは手ではないのです。
同じように、胴体も取り去ってみましょう。
実際には胴体を失うと、生命活動を維持することができそうにもないので、それは現実的ではありません。
でも、僕にはどうしても胴体が自分であるとは感じられないのです。
なぜなら僕は、胴体を「自分から少し離れた所」で認識しているからです。
つまり、胴体を「自分という感覚」以外の場所で見ることができています。
ということは、胴体は「自分」からは離れているということです。
少しでも距離がないと、それを認識することはできませんよね?
とすると、それを認識できているということは、それと自分との間には「距離がある」ということです。
自分から少しでも離れているものを、果たして自分と呼べるでしょうか?
いいえ、それは自分から離れているので、自分以外のものです。
ですから胴体は自分ではありません。
さて、胴体までも失ったあなたは、とうとう頭だけになりました。
なんかこの辺りにいそうですね、自分って。
鼻をもいだり、顔の皮膚や筋肉を剥いだり、頭蓋骨を取り去ったりと、まだまだいけそうですが、取り敢えず今回はこの辺で止めておきます。
興味のある人は、どこまで取り去ることができるのか、やってみてください。
どんどん「自分という感覚」の中心へと向かうのです。
でも想像でですよ。
本当にやったら、大切な体が死んじゃいますからね(笑)
------------------------
これまでやってみてどうでしたか?
なかなか掴み所のない「自分」という存在を、もう少しで捉えられそうじゃありませんか?
今回の内容を踏まえて、次回は、ある天才が発明した「とある実験」をやってみてほしいと思います。
「自分を捉える」ということにおいて、その実験ほど明確な方法を僕は知りません。
もしかしたらその実験で、究極の「アハ体験」ができるかもしれませんよ。
なのでみなさん、どうぞお楽しみに♪
【今日のまとめ】
・今まで自分だと思い込んでいた多くのモノは、本当は自分ではない。
・真剣に自分を探したいのなら、自分以外のものをどんどん捨ててみよう。
・そして、より自分に近づいてみよう。
・「ここ」にこそ自分はいる!
これをクリックしてもしなくても、あなたの存在には一切影響がありません。でも、僕のモチベーションには大いに影響を与えてくれます。だからどうぞクリックをお願いします↓
「私は〇〇である」
という自分のアイデンティティを書き出してみましたか?
今回はその書き上げたものを使って、自分を探してみます。
◆記憶喪失になってみる
書き上げたものを「使って」といいましたが、実際にはそれらを全部「捨てて」みるのです。
実際に捨てる必要はありませんが、いまだけ、一旦それら全てを脇の方へ置いておいてください。
「いまこの瞬間、自分が記憶をすべて失ってしまったら?」と仮定し、自分から、あらゆるアイデンティティを取り去ってみるのです。
想像で構いませんので、「ここはどこ?私はだれ?」状態になってみてください。
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さて、あなたはいま、自分が何者なのか全くわかりません。
自分を定義できるものなど、いまここには何もありません。
あなたは誰でもない者となりました。
さて、どうでしょう?
そんな状態だとしても、それでも「私はここにいる!」と言えるのではないでしょうか?
あらゆるアイデンティティが消え去ってしまったとしても、それでも変わらず「自分はここに存在している」と言えるのではないでしょうか?
そうなんです。
仮に、自分を定義するものが何一つなくなったとしても、あなたは相変わらずここに存在しています。
それは、あらゆる「定義」はあなたの「存在」とは一切関係がないということを示しています。
「私は〇〇である」という定義があろうがなかろうが、あなたはいまこの瞬間に、ただ存在しているのです。
あなたは、アイデンティティを何ひとつとして必要としない者なのです。
◆体を取り去ってみる
あらゆる定義が自分ではないなら、自分とは一体何なのでしょうか?
この体こそが自分なのでしょうか?
この体は自分の意思で動かすことができます。
歩こうと思えば歩けるし、何かを掴もうと思えばそれを掴むことができます。
どこかに体をぶつければ痛みを感じるし、体調が悪いと気分も優れません。
だから、これは自分であると言えそうです。
でも、本当のところはどうでしょう?
想像で構いませんので、今度は徐々に体を取り去っていってみましょう。
----------------------
まずは、自分から一番遠い足からです。
もし両足を取り去ったとしても、それでもあなたは存在しているといえそうですか?
足がなくても、「自分という感覚」は消えそうもありませんね。
ということは、あなたは足ではないのです。
今度は両手です。
両手がピッコロさんのようにもげてしまったとしても、それでもあなたは存在しているといえそうですか?
両手がなくても「自分という感覚」はまだ消えそうにありませんね。
ということは、あなたは手ではないのです。
同じように、胴体も取り去ってみましょう。
実際には胴体を失うと、生命活動を維持することができそうにもないので、それは現実的ではありません。
でも、僕にはどうしても胴体が自分であるとは感じられないのです。
なぜなら僕は、胴体を「自分から少し離れた所」で認識しているからです。
つまり、胴体を「自分という感覚」以外の場所で見ることができています。
ということは、胴体は「自分」からは離れているということです。
少しでも距離がないと、それを認識することはできませんよね?
とすると、それを認識できているということは、それと自分との間には「距離がある」ということです。
自分から少しでも離れているものを、果たして自分と呼べるでしょうか?
いいえ、それは自分から離れているので、自分以外のものです。
ですから胴体は自分ではありません。
さて、胴体までも失ったあなたは、とうとう頭だけになりました。
なんかこの辺りにいそうですね、自分って。
鼻をもいだり、顔の皮膚や筋肉を剥いだり、頭蓋骨を取り去ったりと、まだまだいけそうですが、取り敢えず今回はこの辺で止めておきます。
興味のある人は、どこまで取り去ることができるのか、やってみてください。
どんどん「自分という感覚」の中心へと向かうのです。
でも想像でですよ。
本当にやったら、大切な体が死んじゃいますからね(笑)
------------------------
これまでやってみてどうでしたか?
なかなか掴み所のない「自分」という存在を、もう少しで捉えられそうじゃありませんか?
今回の内容を踏まえて、次回は、ある天才が発明した「とある実験」をやってみてほしいと思います。
「自分を捉える」ということにおいて、その実験ほど明確な方法を僕は知りません。
もしかしたらその実験で、究極の「アハ体験」ができるかもしれませんよ。
なのでみなさん、どうぞお楽しみに♪
【今日のまとめ】
・今まで自分だと思い込んでいた多くのモノは、本当は自分ではない。
・真剣に自分を探したいのなら、自分以外のものをどんどん捨ててみよう。
・そして、より自分に近づいてみよう。
・「ここ」にこそ自分はいる!
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Posted by しょうちく at 17:27│Comments(0)
│自分は何者なのか
※ブログ開設初期と今とでは、僕の心境も大きく変わっています。
そのため、古い記事を読むよりも、
ブログの記事一覧から最近の記事(2013年11月以降)を選んで読むことをオススメします。
ちなみにいま一押しのテーマは、
「苦しみの原因シリーズ」と、
「自分は何者なのかシリーズ」
です。
そしていま一押しの本は、
「なにが起こっても、『絶対幸せ』でいる法」です↓↓
本当に幸せになりたい方は、このブログを読むよりも、この本を読んでその中で紹介されている方法を実践することをオススメします。
ちなみに、僕はこの本のお陰で苦しみから解放されました。
そのため、古い記事を読むよりも、
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ちなみにいま一押しのテーマは、
「苦しみの原因シリーズ」と、
「自分は何者なのかシリーズ」
です。
そしていま一押しの本は、
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本当に幸せになりたい方は、このブログを読むよりも、この本を読んでその中で紹介されている方法を実践することをオススメします。
ちなみに、僕はこの本のお陰で苦しみから解放されました。
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