てぃーだブログ › 苦しみよ、永遠にさようなら › 自分は何者なのか › 顔のない者⑥(日常での練習)
どーも、しょうちくです。

今日は「自分は何者なのかシリーズ」のとりあえずのラスト記事。

日常を使って「空っぽの自分」を定着させるための練習を書いていきたいと思います。


それでは、さっそくどうぞ↓


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◆自分自身になじんでいこう

練習といってもその方法はとっても簡単。

単に、自分自身を「見る」というだけです。


今まで外側にしか向けていなかった注意を、180度反転させて、自分自身に向けるというだけのことです


「ここに空っぽの自分がいる」ということを、日々自覚していくのです。


今まで、鏡の中の彼(彼女)と同一化し続けていた人にとって、自分が空っぽであるということは、ちょっと変な感じがするかもしれません。

そして、気が付くとすぐに鏡の中の彼(彼女)との同一化が起こっていることに気が付くでしょう。


だから、新たな(というか本来の)自分になじむためには、少しだけ練習が必要なんです。


そして僕の経験上、きっとその練習は楽しいものになると思います。


なぜならこの練習は、開放感や不思議さを実感しながらやることができるからです。

それは苦痛でないばかりか、とても楽しいものなのです。


実は、僕はこの記事を書いている間、今まさに練習してます(笑)

色んな状況下で自分自身を「見る」ということが、僕の密かなマイブームなので。


それでは、その練習方法をご紹介します。




◆鏡の中の彼(彼女)との違いを「見る」

これが多分、一番重要な練習だと僕は感じます。

なぜなら、鏡の中の彼(彼女)とべったり一つになってしまっていることが、多くの勘違いを生んでいるからです。


どういうマジックを使ったのかは知りませんが、自分は、鏡の中の小さな彼(彼女)の中に、自らを閉じ込めることに成功しました。

そしてそのことが、人生に多くの問題を創りだしています。


彼(彼女)との同一化を止めるためには、彼(彼女)と自分の違いを「見る」ことです。


彼(彼女)と自分との間には距離があることを「見て」ください。

そして、彼(彼女)には顔があるが、自分には顔がないという事実をただ「見る」のです。


顔があるかどうかというのは、決してささいな違いなどではなく、それはとてつもなく大きな違いを生みます。


ここに顔を持っていると勘違いしている時、突然世界と自分との間に境界線ができてしまいます。

そのとき僕たちは、世界と自分とが分離しているという錯覚に陥ってしまうのです。

これこそが、「分離意識」なのです。


ですから、自分に顔などないと「見る」ということは、自分と世界との間に境界線など存在しないということを「見る」ということなのです。

自分と世界は対立しているわけではなく、すべては繋がっているということを「見る」ということなのです。



そのために、鏡の中の彼(彼女)と自分とを徐々に切り離していく練習をするのです。


彼が苦しんでいる時はいつも、彼をこの場所に連れてきている(という錯覚をしてしまっている)時だということに気が付いてください。


本来この場所にいるべきではない彼(彼女)を、この場所へと連れてきてきてしまう時、何かが狂い始めます。

「自分は何か大きなことを見逃しているのではないか?」という、混乱が生まれます。


彼(彼女)のあれこれを変えるためにあらゆる努力をしようとも、その混乱は根本的には解決されません。

彼(彼女)の置かれている状況をコントロールしようとしても無駄なのです。


その混乱は、自分自身の勘違いから起こったものだからです。

その混乱は、自分があの小さな人間の中に閉じ込められているという勘違いから生まれたからです。


だから、混乱の大元である鏡の中の彼(彼女)との同一化を止めることが重要なのです。

「自分は初めから解放されていた」と知ることが、混乱を鎮めるための方法なのです。


彼(彼女)を元の彼(彼女)の場所に、自分を「この場所」に戻してやると、自分自身も、そして彼も、リラックスすることに気が付くと思います。

自分が解放されているとき、同時に彼も解放されているからです。


「彼(彼女)と自分が離れていて、自分は顔をもっていない」という事実を「見る」ということは、自分自身のためになるばかりか、彼のためでもあるのです。


ですから、これから鏡を見る機会があるときは、彼(彼女)と自分の違いを認識してみましょう。

彼(彼女)には顔があるが、自分には顔などないことを確認していきましょう。


彼(彼女)を鏡の中に帰してあげ、自分もこの場所へと還りましょう。


お互いが本来の位置に戻ることで、彼(彼女)との対立も終わります。

すると、彼(彼女)の存在すべてを愛おしく感じ始めるでしょう。


彼(彼女)は、この人間ゲームを行う上で、最も大切なパートナーなのですから。


彼(彼女)と仲直りし、一緒にこのゲームを楽しみましょう。




◆顔対顔がないものであることを「見る」

同じように、今度他の人と顔を合わせる機会に巡り合ったなら、その人と「顔対顔」になっていないことを確認してみてください。


「顔対顔がないもの」である事実をただ「見る」のです。


すると、彼(彼女)と自分の間には、何の境界線も存在せず、彼(彼女)のすべてをありのまま受け入れてしまっている自分に気が付くはずです。

自分が彼(彼女)を拒絶することなどできない性質であることを確認してください。


そのことに気が付くだけでも、他者とのコミュニケーションが劇的に変わってしまうかもしれません。


おそらくあなたは、より自分らしく振舞うことができるようになるでしょう。

そして他者にも、自然と優しく接してあげられるようになるでしょう。


ここに、彼(彼女)らから守らなくてはならない「何か」などないのですから。




◆世界を所有していることを「見る」

そして世界を見るときは、同時に、空っぽの自分自身についても見てみてください。


注意を180度反転させ、自分自身が空っぽであることを確認し、目の前のすべてを自分の中に所有していることを確認してください。


この場所にいる空っぽの自分は、自ら何一つ持っていないがゆえに、世界のすべてを所有していることを確認してください。


自分が海を見ればその広大な海を、空を見れば果てしなく広がる空を、自らの中に所有していることを確認してください。



他の者たちの所有という幻想と、自分自身の真の意味での所有について比べてみてください。


あなたほど、その対象とひとつになれるものなどいません。

あなたほど、真の所有を経験することのできる存在などいません。




◆不動の自分を「見る」

どこかへ移動する時には、自分ではなくいつも世界の方が移動しているということを確認していてください。


自分の部屋でくつろいでいる時も、どこかへ移動している最中も、目的地に着いた時も、いずれの時も、自分はこの場所から決して移動していないということを確認してください。


自分はこの場所に固定されたまま、世界の方が次々と変化しているという事実を確認していてください。


どこかへ移動する時には、目的地を「いまこの場所」にするのです。

あらゆる物事は、あなたのいる「いまこの場所」で、いつも展開されているという事実を確認してください。




◆空間としての自分を「見る」

突然湧いてくる感情や思考に翻弄されてしまった時は、目を閉じて、自分が何も無い空間であるということを確認してください。

そして、その空間の中で、感情や思考が現れては消えゆくことを確認してください。


そのどれもが、自分という存在に傷一つ与えることなどできないこを実感してください。

現われては消えゆくものは、どれも自分自身ではないということを実感してください。



あなたは、突然それがやってきた時も、それが暴れまわっている時も、それがやがて去っていった時も、いずれの時も、ただ凛としたまま、だまって存在し続けているということを確認するのです。



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これらが、僕が気が向いた時にやっている練習です。

あなたも、もし何か惹かれるものがあるならやってみてください。


僕はこの練習がとても気に入っており、楽しいからただやっています。

それを別にあなたにも強制するつもりはないので、やりたくないならやらなくても構いません。

「しなければならないこと」でもありませんしね。


あなたが気に入れば、それを「やれ!」と言われなくたってやってしまうだろうし、やりたくないなら、それを「やれ!」と言われたってどうせやらないのですから。

そして、それでいいのです。


でも、もし気に入ってもらえるなら、「顔がない」ということがどれほど解放的なことなのかを、あなたも体験し、それになじんでいってみてください。

それは本当に楽しい体験ですので!


それでは、今日のまとめです↓


【今日のまとめ】

・鏡の中の彼(彼女)を彼(彼女)が本来いるべき場所に帰してあげよう。

・そして自分自身は、本来の場所に還ろう。

・元の場所に戻れば、お互いリラックスすることができる。

・他人と接する時は、「顔」対「顔のない自分」であることを確認しよう。

・顔があるかないかということは、些細な違いなどではない。

・ここに顔を持つとき、他者との間に分離が生まれる。

・そして、顔を持たないとき、他者と自分の間の境界線など消え、彼(彼女)のあるがままを受け容れられている。

・顔を持たないとき、あなたはよりあなたらしくなり、他者にも優しく接することができるでしょう。

・あなたは、世界を所有しています。

・あなたは、いまここから決して離れられません。

・あなたを中心に世界が展開しているのです。

・あなたは思考にも感情にも影響を受けることのない存在です。

・それらが起こるための空間(スペース)です。

・以上のようなことを、日常を使って気が向いた時に確認してみよう。きっと楽しいから!

・その練習方法はとっても簡単、ただ自分自身を「見る」というだけ。




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Posted by しょうちく at 12:12│Comments(4)自分は何者なのか
この記事へのコメント
こんにちわ しょうちくさん。
阿部さんのコメント欄から飛んできて、わかりやすい内容に見入ってしまっています。
動画の実験なども試してみてよくわからなかったり、あ!と思ったりです。
顔のない者の実験もしています。
でも、鼻水も涙も出るし、髪の毛は風を感じるしで抵抗しまくっている「彼女」と離れられるのかしら・・・と、これも彼女の声なのでしょうね。
おかげさまで状況を変えようとするより、自分を見つめるほうが楽だということを確認できました。
更新ありがとうございます。
Posted by 頭でっかち at 2014年01月11日 15:12
おー!すごい!!
練習します(^O^)
Posted by さとみ at 2014年01月12日 02:14
頭でっかちさん、コメントありがとうございます。

実験については、自分がピンとくるものだけをチョイスしてやればいいんじゃないかと思います。
僕もダグラスの実験すべてがピンときているわけではないので(笑)

>でも、鼻水も涙も出るし、髪の毛は風を感じるしで

とのことですが、それを「認識できている」ということは、それらは自分からは距離があるということじゃないですか?
自分から少しも離れていないものを、認識することができるでしょうか?
つまり、鼻水や涙が出てくるその部分は、「自分から離れている」ということの、まさに証拠になるのではないでしょうか?

さらにそれは、あなたのいう「抵抗しまくっている彼女」についても同じことが言えると思います。
あなたはその「彼女の声」も「認識できている」のではないですか?
もしそうなら、認識できる「すべての声」とあなたとの間には、距離があるということじゃないですか?

>抵抗しまくっている「彼女」と離れられるのかしら・・・と、これも彼女の声なのでしょうね。

と、あなたも感じている通り、それはあなたが言っているのではなく「声」が自動的にそう反応しているのだと思います。
「・・・と、これも彼女の声なのでしょうね。」という部分もです。

>おかげさまで状況を変えようとするより、自分を見つめるほうが楽だということを確認できました。

何か認識が変わられたようで、僕も嬉しいです^^
Posted by しょうちくしょうちく at 2014年01月14日 20:43
さとみさん、コメントありがとうございます。
ぜひ楽しみながら、練習してみてくださいね^^
Posted by しょうちくしょうちく at 2014年01月14日 20:45
 
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