てぃーだブログ › 苦しみよ、永遠にさようなら › 自分は何者なのか › 顔がない者④(他の者たちとの比較)
どーも、しょうちくです。

今日も引き続き、自分がどれだけ偉大な存在なのかを実感していきましょう。

それには実際に検証してみるのが一番です。


そこで今日は、「自分」と「他の者たち」を比べて、その違いを実際に「見て」みましょう。

他の者たちとは、鏡の中の彼(彼女)のことも含みます。



それでは、さっそく検証に入りましょう↓


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◆目を閉じるという行為について

まずは、目を閉じるという行為について「見て」みましょう。


<他の者たち>

他の者たちが目を閉じる時、それは、小さな顔についている小さな二つの瞼が閉じるというだけです。

ただそれだけの動きしか見せません。

その行為は、世界にこれっぽっちも影響を与えることができません。



<自分>

対して、自分が目を閉じるという時、一体何が起こるでしょうか?


実際にやってみると、巨大な一つ目が消え、同時にその瞬間、目の前から色や形がすべて消え去ってしまいます。


そして目を開くと、今度はこの巨大な一つ目の中に、瞬時に色や形が現れるのです。


あなたも少しの間、ゆっくり目を閉じたり開いたりを繰り返してみてください。


あなたのその動きに合わせて、世界の色や形も消えたり現われたりしているのを実感してください。


あなたが目を開かない限り、この世界に色や形が存在することはできないのです。




◆歩くという行為について

次は、歩くという行為についてです。


<他の者たち>

他の者たちが歩くとき、それは、固定された不動の世界の中を、彼らはちびちびとゆっくり移動しています。

ただそれだけのことです。



<自分>

一方自分が歩く時といえば、まさにとんでもないことが起こっています。


自分自身を指さしながら歩いてみると、不動の自分の中を、世界がダイナミックに移動していることが、ありありと分かります。


ずんずんと近づいてきてそれらは大きくなり、すれ違う時、それらは巨大な虚空の中へと消え去ってしまうのです。


あなたは、世界を動かすことのできる凄まじい存在なのです。




◆食べるという行為について

今度は、食べるという行為について比べてみましょう。


<他の者たち>

他の者たちが何か物を食べる時、それは、小さい顔の下の方についているさらに小さな穴に向かって、食べ物を放り込んでいるというだけです。

そこには特別に驚くことなどありません。



<自分>

一方、自分自身はどうでしょう?


まず目の前に色や形のある食べ物があります。

それをこの巨大な空間へと移動させると、その色や形は消え去り、瞬間的にそれは味に変わります。


それはまるで魔法のようです。

すご腕マジシャンもびっくりするほどの奇術です。


あなたは色や形である物体を、瞬間的に味に変えることのできる魔法使いなのです。




◆死という現象について

最後は「死」について見てみましょう。


<他の者たち>

他の者たちが「死ぬ」という時、それは、小さい顔の小さな二つの目が閉じられ、呼吸が止まり、すべての活動が停止して、動かなくなる状態のことを示します。

その時、生きていたその者は、死んだのです。


そして、鏡の中の彼(彼女)についても同様のことが起こるということは、容易に想像することができます。

彼(彼女)はどう見ても人間であり、それは「生物」だからです。


彼(彼女)は、今まさに「生きて」います。

ですから、生きている彼(彼女)にはいずれ死が迎えにくることでしょう。

それから逃れるということなど、とてもできそうにありません。



<自分>

一方今度は、「この場所にいる自分自身」について検証してみましょう。


自分は何の形も持っていません。

そして、「この場所」から一度も動いたことがありません。

さらに、あの時といま現在を比べてみても、「これ」は何も変化していません。



自分は、形を持たず、動くことも、変化することもない存在です。

「これ」は空っぽのまま、不変のまま、ずーーーーっと静止しています。


形もなく、何の動きも見せず、一切の変化もしない「これ」を、果たして「生きている」などと言えるでしょうか?


これは生物なのでしょうか?

これはとても生物などと呼べない存在なのではないですか?


そんなものが、果たして死ぬことなどありえるでしょうか?


最初から生きてなどいない「これ」に、死が訪れることを想像することなどできないんじゃないですか?




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どうでしたか?

自分と他の者たちとの違い、実感できましたか?

自分自身に起こっていることと、他の者たちに起こっていることって、明らかに違う現象なのではないですか?


「自分」って、むちゃくちゃすごい存在なんじゃないですか?


次回は、この「素晴らしい自分」を、日常生活において、より継続的に実感し続けていけるような「練習」について書きたいと思います。



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【今日のまとめ】

・自分が目を閉じれば世界から色や形が消え去る。

・そして目を開けば、世界に色や形が蘇る、しかも瞬時に。

・自分が歩く時、世界がダイナミックに移動を始める。

・そしてすれ違う時、それらは巨大な虚空の中へと消え去ってしまう。

・自分が物を食べるとき、その色や形を魔法のように味に変えることができる。

・自分はいままでここから動いたこともないし、変化したこともない。

・自分は永遠に静止している存在である。

・そんな自分を「生物」と呼ぶのには、とても違和感がある。

・最初から生きてなどいない自分が、死ぬことなど想像もできない。

・自分ってすっげー!





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Posted by しょうちく at 23:08│Comments(4)自分は何者なのか
この記事へのコメント
楽しく拝見してます
ありがとうございます
Posted by さとみ at 2014年01月08日 00:58
阿部さんのブログから来ました。ありがとうございます。m(_ _)m

自分が死んだら、自分は消えてしまわないのでしょうか?

死んでみないとわからないのではないでしょうか?

そんな疑問がわきました。

少しずつ顔がないを試していきます。

※このコメントは削除してもかまわないです。
Posted by 小猫 at 2014年01月08日 10:58
小猫さん、コメントありがとうございます。

>自分が死んだら、自分は消えてしまわないのでしょうか?

という質問に対する僕なりの答えは、小猫さんの言う「自分」が何を指しているのかで変わってきます。

それが「鏡の中の人間」のことを言っているのであれば、それはいずれ死に、その存在は消えてしまうかの「ように見える」でしょう。
(厳密にいうとその「状態が変化」するだけで、消え去ったわけではないので)

それが「私という考え」のことであれば、それが消えたとき、「空っぽの自分」として再び復活するでしょう。
それは「死」というよりも、「解放」という方がしっくりきます。

そしてそれが「空っぽの自分」という存在についてであれば、僕はそれが「死ぬ」ということが想像できません。
まるでそれは最初から「死んでいる」かのように、何の形も持たず、ただここで静止したまま存在しているからです。


>死んでみないとわからないのではないでしょうか?

という質問については、この肉体が死んでしまって人間ゲームが終わりを告げた時に何が起こるのかは、確かに分かりませんね。
それは起こった時にしか分からないので、最後の楽しみとしてとっておくことにしています。
Posted by しょうちく at 2014年01月08日 18:39
さとみさん、コメントありがとうございます。
僕も楽しく書かせていただいています。
Posted by しょうちくしょうちく at 2014年01月09日 14:09
 
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